
JOURNAL · 書家に聞く
臥龍会 八十五年の歩み 墨とともに歩んだ家族と仲間の物語
一九四〇年、宇都宮で創刊された書道誌「臥龍」。栃木県書道連盟の結成に関わり、戦火を越えて一号も絶やさず、全国へ。初代・日賀野東華から三代・琢へ受け継がれる、墨の家の八十五年。
書道研究 臥龍会は、栃木県宇都宮市に本部を置く書道団体です。一九四〇年(昭和十五年)の創立以来、月刊競書誌「臥龍」を一号も絶やさず発行し、全国に支部を広げてきました。古代文字(篆書・隷書)を専門とする書の研究会として、八十五年にわたり書道文化を支えてきた、その歩みを創立者からたどります。
一九四〇年(昭和十五年)二月十一日。宇都宮の地で、ひとつの書道誌が産声をあげました。創刊したのは、臥龍会 初代会長・日賀野東華、三十六歳。以来八十五年、臥龍会は墨とともに歩んできました。これは、一つの家族と、それを支えた多くの仲間の物語です。
臥龍会 八十五年のあゆみ(一九四〇–二〇二四)。創立から現在までの主な歩み。
一九四〇年、宇都宮に生まれた月刊誌「臥龍」
東華は当時、逓信省の官吏として宇都宮郵便局に勤めていました。公務のかたわら、志を同じくする仲間とともに、月刊競書誌「臥龍」を創刊します。全国を見渡しても、三十代半ばでこれほどの書道誌を興した例は、ほとんどなかったといいます。
誌名の「臥龍」は、まだ天に昇らぬ、伏せた龍のこと。力を蓄え、時を待つその姿に、書に向かう心が重ねられています。表紙の題字は時代ごとに書き手を替えながら、いまも誌面の「顔」として受け継がれています。
墨を支えた人、東華夫人・澄
創刊を陰で支えたのは、東華の妻・澄でした。十九歳で嫁ぎ、東華とは二十ほども年が離れていたといいます。誌の編集発行人には、長く澄の名が記されました。差出の宛名書きから発送まで、家族総出で誌を送り出した時代もあったといいます。記念映像で「臥龍会の精神的支柱」と紹介された、静かで、しかし確かな存在でした。
栃木県書道連盟の誕生と、臥龍会
戦後まもない一九四七年(昭和二十二年)、栃木県の書家たちが集い、栃木県書道連盟が結成されます。その結成に向けた発起人会が開かれたのが、ほかならぬ臥龍会本部でした。東華は連盟の初代副会長として名を連ね、県内の書道界が一つにまとまっていく礎づくりに加わります。
一つの会の枠を越え、地域全体の書の発展を見据える。その姿勢は、やがて臥龍会そのものの広がりにもつながっていきました。書は個人の芸であると同時に、人と人、土地と土地を結ぶものでもある——東華は早くから、そう考えていたのかもしれません。
戦火を越えて、一号も絶やさず
創刊は、戦争のただ中でした。紙の確保もままならず、その厚さひとつにも苦心する日々。物資も人手も乏しいなか、誌を出し続けることは、並大抵のことではありませんでした。それでも「臥龍」は、創刊号から一度も途切れることなく発行を続けます。戦中も、戦後の混乱期も、休まずに。これほど長く、一号も絶やさずに刊行を重ねてきた競書誌は、全国でも稀です。通巻は、いまや千八百号を超えました。
戦後の復活、そして全国へ
終戦後、「道」と名のつくものは一時すべて遠ざけられました。柔道も、剣道も、そして書道も。数年の時を経て書道が息を吹き返す兆しを見て、東華はいち早く、子どもたちのための手本を整えます。小学一年、二年、三年——学年ごとに用意された手本は、学校の課外事業を通じて各地へ届けられ、「臥龍」は教室から教室へと広がっていきました。
とりわけ東北地方には、多くの支部が生まれました。逓信省で結ばれた各地の縁が、その礎になったといわれます。青森から福島まで、雪国の町々にも墨の輪が広がっていったのです。こうして臥龍会は、いまでは全国に約百三十の支部を持ち、およそ二千名の会員が学ぶ、栃木県内でも有数の書道団体へと育ちました。
十年ごとに開かれた大規模な「臥龍書展」。そして、子どもたちが五人一組となり、その場で一気に筆を振るって競い合った「席書大会」。地域に根ざした行事の一つひとつが、幾世代もの書き手を育て、書の裾野を広げてきました。
二代、そして三代へ
一九六一年(昭和三十六年)、二代・日賀野溥が宇都宮に戻り、会を継ぎます。以後、誌の編集発行を担い、創立五十周年、六十周年、七十周年、八十周年と、節目のたびに大きな書展を重ねてきました。二〇二〇年には誌面を大きく刷新し、そして二〇二四年、臥龍会は創立八十五周年を迎えます。
いま会を預かるのは、三代・日賀野琢。古代文字(篆書・隷書)を専門とし、一書家としての創作に加え、企業や海外へと、書の新たな場を開いています。初代から数えて、三代。墨の家の歩みは、途切れることなく続いています。
「習字」から「書道芸術」へ
八十五年の対話のなかで、いまの会が見据えているのは未来です。文字を手で書く機会が減り、パソコンやタブレットが当たり前になった時代。伝えるべきは、技術だけではありません。文字がどこから来たのか、どんな成り立ちを持つのか。その理解ごと、次の世代へ渡していくこと。ただ整えて書く「習字」を越えて、一人ひとりの表現としての「書道芸術」へ。
受け手も、変わっていきます。人生の後半を墨とともに楽しむ方々へ。漢字文化圏の外から、日本の文字に惹かれて訪れる海外の人々へ。届け方も、紙の誌面からデジタルへと、少しずつ形を変えています。
変わるもの、変わらないもの。その両方を抱えながら、臥龍会は地道に、こつこつと、これからも墨とともに歩んでいきます。